朽木
大阪中央環状摂津〜〜〜西国街道〜〜水無瀬〜〜〜高野〜白川通〜(鯖街道)〜朽木村〜・〜朽木小川渓流魚センター〜〜〜朽木本陣〜今津〜〜〜〜〜坂本〜バイパス〜
集合場所の摂津へ行く。寒い。いや先月のツーリングが暖かかったせいかこれでも平年並みという。大阪中央環状線からまるで有料道路の様な新府道14号を通り、へと出る。この府道14号、気付かないうちにスピード感覚がマヒし、メーターの針がどんどん振れていく。ご注意を!!
さて現代の高規格道路を通ったあとは、をいったん越えて西国街道へと移る。平安時代から、のちは江戸時代の参勤交代にも使われたというこの街道。殿様が馬やお供の者を引き連れ、長い行列をつくって通っていたのだろう。しかし今回、CLUB2000一行を馬力に換算するといったい何頭の馬に引き連れていることになるのだろうか。きっと殿様もびっくりだろう。そんなことを考えながら走っているとおもしろい。水無瀬よりに戻り、京をめざす。をかすめ、八坂神社の前を抜け、白川通りへ。
引用サイト: CLUB2000 レポート17(朽木村 バーベキューしよ))
http://www.robot.ne.jp/~auto/bike/club2000/repote17.htm
この記事の続きを読みたい方は、上記URLをコピーしてアドレスバーへ貼り付け後、エンターを押してください。
トップに戻る
朽木
朽木が歴史の門戸に顔をのぞかせるのは、おおよそ1000年前からである。古くは「朽木谷」または同義で「朽木郷」「朽木杣」と呼ばれてきた。「朽木庄」の呼び名もあるが、平安時代に見える「朽木荘」が荘園名として比較的長い歴史を持つ。
奈良時代、朽木谷から「朽木の杣」、すなわち材木を東大寺の建築用材として筏で搬出した記録が残っている。安曇川からびわ湖を経て、淀川、木津川とわたり、奈良坂を越えて運ばれたもの。
貝原益軒の「諸国めぐり」に、朽木の杣は朽木谷の奥にあり、名所なり云々……とあるように朽木谷一帯は名木の産地として古くから盛名をはせていた。因みに、朽木の名は古事記にある「木神久々能智神」を祭祀した故から生じた「久々」が変化したもので、“樹木繁茂の地”の意があると言う。
しかし一方で朽木を有名にしたのは戦国期、この地に地頭の朽木氏が室町幕府の十二代将軍義晴、十三代将軍義藤を匿い、政務を補佐した故事によるところ、大である。そのロマンは今も、朽木陣屋跡や岩瀬興聖寺、或いは村内の禅寺等で、垣間見ることができて興味深い。
引用サイト: くつき「歴史」散歩
http://www.kutsuki.or.jp/event/spot/rekishi.html
この記事の続きを読みたい方は、上記URLをコピーしてアドレスバーへ貼り付け後、エンターを押してください。
トップに戻る
朽木
かつて「鯖街道」の宿場町として栄えた朽木村では、12年前から毎週日曜日に朝市が開かれ、にぎわいを見せています。出店は自分で生産、加工することが条件。村の特産品の鯖のなれずしと栃餅は、出店者がそれぞれ味に工夫をこらし、京阪神一帯から常連のお客さんがどっと出かけてくるほどの人気を呼んでいます。
朽木村は福井県小浜市から京都にサバを運んだ鯖街道の宿場町として栄えてきた。近年は観光事業に力を入れ、温泉やキャンプ場を兼ね備えた多目的施設「グリーンパーク・想い出の森」をオープン。京阪神からの利用者が年々増加している。
朽木村を南北に走る国道367号線は、別名「鯖街道」と呼ばれます。鯖街道とは、13世紀初期にできた若狭街道のこと。若狭の国(現在の福井県)、小浜城下から京の出町柳あたりまでの約80kmの街道で、若狭の海でとれたサバがこの道を通って京へ運ばれたことからこの名がつきました。
引用サイト: 朽木村
http://www.ruralnet.or.jp/rekishi_roman/12/kutugi/kutugi.html
この記事の続きを読みたい方は、上記URLをコピーしてアドレスバーへ貼り付け後、エンターを押してください。
トップに戻る
朽木
初雪舞ったよ。そして、長..from 朽木らいふゆきんこ、飛んだ!from 朽木らいふてんつくマン「107+1..from 湖西つれづれカメムシと格闘from カメムシ古民家 下見へfrom 朽木らいふ
僕が応募している「高島市ビジネスプランオーデション」の二次審査があります。大阪から小森君が子育てを朽木針畑でしたいと言って引越して来のは、6月です。正直、僕もチョツトびっくりしました・・・・・。そんなきっかけと僕の思いと合致とて今回のプランに応募しました。
針畑地域は京阪神に少なくとも2時間でアクセスできる位置にありながら、「交通が不便」「豪雪地帯」のため、奥山の自然と独特の文化が残されている。しかし、過疎化と高齢化が進み、景観や文化の保持は困難となりつつある。このままでいくと、10年後には高齢化と人口の自然減により、人は住んでいるが集落としての機能を果たさなくなると考えられる。この美しい針畑地域を次世代に残すためには、仕事がなく出て行かざるをえなかった子供たちが帰ってこれ、新しい住人も住み続けることができる新たな方策を考え、取り組むことが急務であると思っている。
引用サイト: 針畑・朽木小川より・榊さんの田舎暮らしとデジカメ日記!
http://kutsukikog.exblog.jp/
この記事の続きを読みたい方は、上記URLをコピーしてアドレスバーへ貼り付け後、エンターを押してください。
トップに戻る


